小鯛ささ漬の歴史      

いにしえの若狭の国にさかのぼること、1300年。ちょうどその頃は、お水送りと時代を
共にする奈良平城京。その贄(にえ)、税金として、若狭の塩と共に塩漬の魚が献上の
品として供されていました。発掘した木簡に、多比鮓(鯛ずし)と記されており、鯛を塩
漬けにしたものが、若狭小浜から奈良へ送られていた事が伺えます。これが名産品
小鯛ささ漬の第一の原点であると言える、と考察されます。

ささ漬の名称は、小鯛を三枚に卸した身の形が笹の葉の形に似ているという意味と、小
さな笹を身に乗せて樽詰をするからとする見方もあります。その他諸説がありますが深い
意味はないようです。  ちなみに、食品に笹の字が冠せられているのは、笹鮨、笹団子な
ど笹の葉を使ったものと笹栗、笹蒲鉾、笹作りのように笹の葉のように小さなものの意味
で使われております。
若狭小鯛は、歴史的にも当地の代表的な魚の1つとして有名であったようですが、小鯛さ
さ漬として(京都では、若狭小鯛酢漬)現在のような形になったのは、明治中~末期のよう
です。若狭の魚商と京都の珍味商が近年特に漁獲の多い、小型の連子鯛の有効な利用
法の1つとして、共同考案し、このように粋な杉樽に詰められた淡酢の逸品が誕生したよう
です。最も最初は、魚身の上には、笹ではなく、桧葉がそえられていたとも言われております。京懐石の手土産のような形で、都の雅の人々を中心に徐々に東京等へ浸透して行っ
たようです。

小鯛ささ漬発祥の魚商と縁の深い小鯛ささ漬の需要は、日本人が豊かになる過程と平行
して、高度成長期に急激に伸びてきました。
高価で品の良い生鮮珍味である為、手作りの良さを残しつつも増産が必要となって、工場
は地域各漁村婦人や農村婦人の活躍の場となりました。連子鯛の資源にも思いを馳せ、
この時期、笹漬膳と銘うって種々小魚のささ漬シリーズを積極的に進めました。小鯛はや
はり圧倒的に人気が高いですが、きす、さより、小あじ、とびうおなどのささ漬も姉妹品とし
てのレパートリーとなっています。

市長さんのもうひとつの構想である近代漁港の建設の方は、完成した埋立地の突端に、
近代建築の魚市場が開店したばかり。
私が見に行った時は、もう水揚げもせり市もすっかり終わっていて、漁船は漁港の入江に
ずらりと並んでもやっていた。
この漁港の近くに水産加工会社の丸海さんがある。この会社の目玉商品“小鯛ささ漬”
工場を見学する。
上野社長の案内で工場へ入ると、白衣のおばさんが50人ほど、すべてが手作りの作業
中であった。
「みなさーん。ご紹介します。この方は和田さんという漫画家で、私の中学1年先輩で…」
社長の先輩だから私も大いばりである。やっぱり故郷は違う。
ささ漬の材料は、レンコ鯛。パートのおばさんの手さばきはまことに鮮やかで、3枚におろ
すスピードは1尾約10秒。1日1,500から2,000タルを生産する。ささ漬の歴史は古く、京都
の料亭におくられ、高級会席料理に使われていた。量産が軌道に乗ったのは現社長の手で、昭和35年ごろからだとのこと。来年は埋立地へ新社屋を建て、ガラス張りの見学コー
スもできるというから、ささ漬も一段と名をあげるだろう。

文 和田 義三 (昭和59年)